【比較しない生き方】才能がないと人と比べてしまう…人と比べない!
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「自分はなんてダメなんだ!才能がない・・・。だから、もう、辞めてしまおうかな」そんな風に思う事はありませんか?
私もよくあります。 学生時代の勉強や運動、工作や絵を描くこともぐっちゃぐちゃだったり、 社会に出てからは、仕事の覚えが悪いとか、プレゼンが上手くできないとか・・・。 家庭においても、料理ができないとか・・・。
でも、こういうのって、他人と比較してしまっているから、 他人の出来具合に比べて、自分の出来具合が悪くみえて、「才能がない」って思ってしまうのではないでしょうか。
私は、持ち物の見直しをして不要なモノを手放している中で、 こういった、「人と比較してしまう事」も手放したいと思っています。
そこで今日は、 私の経験上、「才能がないから、スパッと諦めた事」と「才能がないから、長い事楽しめている事」について それから、人と比較しないために心掛けていることについてまとめてみました。
才能がないからあきらめたこと
まず、私が、才能がないと思ってスパッと諦めた事についてですが、これは、車の運転です。
私は車の教習所の実技をクリアするのに、人の2倍の時間とお金がかかりました。 これがもう、ショックで、ショックで、 どう頑張ったらよいのかもわからず、人生で初めての大きな挫折だったかもしれません。
田舎育ちだったので、近所のおばちゃんたちやかなり高齢の人たちも車に乗っている人は多く、 自分は、だいぶ若いのに、そういった人たちよりも、運動神経が劣っているのか? 普通じゃないんじゃないか? 脳の感覚が異常なんじゃないか? ものすごく頭が悪いのか・・・?
などと、当時は、かなりコンプレックスに思っていました。 教習所から家に帰ってきて、「今日も実技クリアのハンコを貰えなかった・・・」と 一人で泣く日が続き、すごくつらかったです。
一緒に自動車学校に通い始めた友人は、 忙しくてなかなか教習所に行けない中、サクッ免許を取得し、 私は毎日通っているのに、全然先に進めず、出費もかさんで、Wの辛さ。
早い段階から、自分にとって運転はもう、向いていない。才能がないと、はっきり認識していました。
車をぶつけても問題がないような田舎の山道とかで猛特訓するとかすれば、運転はできるようになるのかもしれません。 いずれにしても、相当な努力と経験が必要で、ずっと車に乗り続ける生活をして慣れるなどしないと 人並みに運転できるようにはなれないと感じました。
あきらめたことで得られるメリット
でも、運転が下手なことで事故を起こしたら、自分がケガをしたリ、誰かを傷つけてしまったりする可能性があります。
一応、親が所有する車を使わせてもらって、運転の練習をしたことは数回あるのですが、 車庫から出る際にボディをがっつりとブロック塀にこすり、10万円位の修理代がかかったり、 サイドブレーキを掛けたまま20kmちかく走って、部品交換せざるを得なくなったりで、 怖いし、お金もかかるし、自信喪失しました。
あまりにもリスクが高い!と思って、私は、「運転ができる人」という人生をすっぱりと諦めました。
幸い、時代が、車を持たない人も増えてきている・・・という風潮になり、 へた過ぎて運転ができないのか、運転はできるけど乗らないのかは見分けがつかない世の中になりました。 おかげで、コンプレックスは和らぎ、「普通の人のふり」ができています。
車の運転なんて、できたってできなくたって・・・と思うかもしれませんが、 ほとんどの人が、日常生活の中で当たり前にできていることが、自分はできない。 どう頑張ってもできないって、とても辛いことです。
運転ができないことで、職業選びや住むところもかなり限定されます。 人生において不利なこともたくさんあります。 いざとなったら運転できるとは違い、才能がなくて運転ができないのですから・・・。
出来ない人の気持ちが分かる
でも、できないことがあることで 自分はできるけど、できない人がいる時、相手の気持ちを想像することができようになりました。
なんでもできてしまう人には、こういう気持ちって分かりにくいのではないでしょうか。
車の運転ができる人生は手放しましたが、人の気持ちを考えられることは手に入れられたのかなと思っています。
才能がないから楽しめていること
そして、「才能がないから、長い事楽しめている事」についてですが、 これは、私がもう何十年も楽しんでいる趣味の音楽活動です。
私は、歌を歌っているのですが、 音程を外しやすいですし、声も細い。 絶対音感なんて全くなくて、音程の高い低いについても、近い音になると判断できなくて 何回も曲を聞いて、身体に曲をしみ込ませて、全部覚えるしかない・・・ といった感じで、やりつづけています。
音楽の才能がある人って、理屈は分からなくても上手くできたり、 適当に歌っても音程がビシッとあっていたり、 お酒を飲んで大声で騒いでも、ノドが丈夫で、平気で歌えたり・・・
私には、そういった才能が何一つありませんでした。 得意か苦手かといったら、苦手なモノなのかもしれません。
でも、好きな曲を飽きずに何回でも聞ける才能は、持ち合わせているようです。 だから、下手だけど楽しめる。
もしかしたら、音楽の才能があって、あまり苦労なくすっと上手にできてしまう人は 私ほど、できるようになる楽しみを、味わえないのかもしれません。
才能がなくて下手だからこそ、伸びしろが大きい。 出来ていないことが多すぎるから、やることがたくさんあるんですよね。
やり続けていると、過去の自分と比較して、上手にできるようになることがあるので、楽しいんです。 そう思うと、才能がないのも悪くないなぁなんて、思ったりしています。
才能を人と比べてしまう
とはいえ、「人と比べてしまう事」ってなかなかやめられないですよね。
上手な人の演奏や歌を聞いたりすると、 自分のライブ音源と比べて、愕然として、へた過ぎて恥ずかしくて、穴があったら入りたくなります。
「いい年して何やってんだろう」とか 「こんな恥さらし、もうやめようかな」とか、思う事もあります。
人と比べなかったら、そんな気持ちにはならないのに・・・ そんなことで、自分の気持ちが変わってしまうのは、変ですよね。
世の中にはいろいろな人がいますから、 自分より、上手な人も下手な人もいます。 自分より下手でも続けている人もたくさんいます。 人によって、上手とか下手とかの基準も違います。
だから、どう評価されるかは置いておいて、 やるかやらないかは、自分の気持ちを優先で考えるのが、人生を楽しむコツかなと思っています。
特に表現をする活動。 音楽もそうですし、youtube発信や、ブログを書いたり、作品を作ったり、人と交流したりする活動は 人と比べてしまいがちです。
そんな時、私は、「自分は車の運転ができないこと」を思い出すようにしています。
自分は人とは違う
私にとって、運転は絶対的にできないことです。 これがある時点で、もう、普通の人とは違う。 自分は人と違うんだから、できないことがあって当たり前。 いい意味で、「自分は人とは違う」ことを認識するようにしています。
みんな、人と違って、できることとできないことがある。 だから、比べたってしょうがない。 下手が味になっていい個性になったりもするし、下手だから上手になろうと楽しめることもある。
誰かのように、上手くやろうとするのではなく、 自分らしくするにはどうしたらよいかを考えていくのがいいかな?と思っています。