チャットgptと人間の違い【chatGPT】テクノロジー進化/AI/自分がない人間はAI以下?
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最近の世の中で盛り上がっている話題の一つに、chatGPT(チャットgpt)などのAIテクノロジー技術の進歩に関する事があります。
私はIT系の仕事をしている関係もあって、最新技術の話は好きな方でして、chatGPTに色々な質問をしてみたりして、楽しんでいます。
とはいえ、年齢が上がっていくと、新しい事を取り入れるのが難しくなる気持ちも分かります。
今までの常識や通用していたやり方が変わるのは面倒だったり、新しい事がよいとされる一方で、自分が今までやってきたことや自分の価値観を否定されるような気がして…嫌な気持ちになったり、恐怖を感じたりもするものです。
ですが、スマホの普及や買い物の仕方、行政の手続きなど、今や技術の進歩は、普通に暮らしていく上で無視できないものです。
変化を受け入れて、変化についていく事が、自分の生きやすさを守る事につながるのではないでしょうか。
そこで今日は、これからどんどん私たちの生活の中に入ってくると思われるAI技術について、AIと人間は同じなのか?違うのか?などについて考えてみました。
AIと人間の違い
今の時点で、AIと人間の違いを簡単に言うと「自発的に動けるのが人間で、AIは人間が指示を出したりプログラムを設計したりしないと動けない」という事かと思います。
ただし、将来的にAIがどんなスピードでどんな風に進化していくのかは誰にもわかりません。
指示を先読みして察知したり、経験によって自ら成長して判断したり・・・なんてこともできるようになるかもしれませんね。
となると、AIと人間との違いがどんどんあいまいになっていきそうで・・・ 「AIと人間の違いって何だろう」「これからはAIには出来ないことをやっていきたい」と考えるようになりました。
例えば、仕事や家事や趣味の活動で、そのうちAIができるようになる作業や行動ついて、 私が努力してできるようになったとして、 AIがやったほうが、確実でクオリティも高いだろうから意味がないな・・・と、やる気がなくなるのは当然ですよね。
なので、「AIがやった方がよさそうだ。いずれAIがやるようになるだろう」と思われるならば、 そこにしがみつこうとするのではなく、 それぞれが、「それならばどうする?」ということを考え始める時が来たのだと、私は考えます。
と、偉そうに言いましたが、私自身まだ、どうなるのか?どうすればいいのか?よくわかりません。
多分、少なくともこれから数年は、このことについて考えなくてはいけないんじゃないかなと感じています。
人間がやる仕事はなくなってしまうのか?
よく「AIに自分のやっている仕事を取られてしまいそうで心配だ」という話を聞きますよね。
でも、医者や弁護士の仕事もAIがやるようになるだろうという意見もありますから、 仕事の難しさにかかわらず、ほぼすべての人が、 仕事や暮らし方・生き方・生き甲斐などについて、 これからはどうするのがよいか?何をしてどうやって生きていくのがよいか?考える必要があるでしょう。
そんな中で、私が今思うのは・・・ AIが得意とするのは、間違いのない完璧な作業なので、そういう方向はAIに任せて、 人間は、予測もつかないようなミスをするとか、不規則な揺らぎがあって安定しないとか、 プログラム設計しにくい、意外な事・ランダムな事や言葉で説明がつかないような奇妙な事などが、貴重で価値がある事になるのかもしれない・・・ という想像です。
それから、文章とか画像とか音楽とか、様々な創作物が沢山の人たちによって作られてきましたが、 これからは、そういった生産的なものを作って世に出すという事ではなく 創作物の種になるような、素材とか考えとかを磨くことに重きが置かれ、 手間がかかる創作作業自体はAIが行う感じになるのかなぁ?なんて思ったりもします。
そして、人間が、AIと同じにならないようにすることは、自分がそう意識すればできるのではないか。と、思うし、そうであってほしいと願います。
AIが進化していくのに応じて、AIに想像がつかないような変化をしたいところです。
人間はこれからどうしたらいいのか?
それで、AIとは違う人間になるためには、どうすればいいのかについてですが・・・ ちょっときつい言い方かもしれませんが、『自分がない人間はAI以下』になってしまうだろうと、私は考えています。
お金をたくさん稼ぐことばかり考えて、効率の良さや自分が得するかという判断基準だけで行動しているとか・・・
忖度して人の顔色ばかりうかがっているとか・・・
流行や周りの人と同じようにしてばかりとか・・・
そういった人生は、AIにやらせることもできそうですよね。
つまり、何をAIにやらせて自分は何をするのか?をよく考えないと、人生丸ごとがAIに置き換え可能な中身のない人生になってしまいます。
特に、人並みの人生を・・・と考える人はAIと同じようになっていってしまいがちなように思います。
といってもこれは、今に始まったことではないですよね。
例えば、ロボット掃除機に掃除をさせるのか?自分で掃除をするのか?
この場合、なんとなく、みんながロボット掃除機を持っているからという判断でそれを使っていたら注意が必要です。
掃除以外の、他の、必要な自分にとって大切な事に時間を割くために機械を使っているとか 掃除が好きだから自分でやって楽しんでやっているという 自分なりの理由があるばよいでしょう。
何に価値を置き、何を自分でやることで人生を豊かにするのか?
どういった状態を豊というのかは、その人の価値観などによって決まりますし、時と場合によっても変化する複雑な事ですから。 あらかじめAIにプログラミングすることで実現できるレベルの話ではないですよね。
AIの欠点と人間の価値
また、AIは何でもできてしまうところが欠点かもしれません。
人間は、できない事や知らないことがあって、「いびつ」だからそれが個性となり、個性があるから味があって面白く、 なんだか惹かれる・・・という魅力だったり価値が生まれます。
そして、いびつとは、完璧でない自然な姿の事ですが、 思えば、植物などの「自然」も、規則性があるようでなかったり崩れていたりして「いびつ」ですよね。
いびつである事は、完璧とか、完全なる均一とか、まったくの機械的ではないからこその美しさがあって、 どうなるか分からないから、偶然に、想像もしないものが生まれたりして、それを「自然が生み出す奇跡」なんて言ったりもします。
なので、人間もそこを目指すのが美しくて、価値がある事ではないかな?と思ったりします。