【自分らしさ】人と違うことは怖い?自分で選び「人と違うことをする」
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私は持ち物を必要最低限にするミニマリストという暮らし方に共感していまして、 「ミニマムを突き詰めていくことで人それぞれの個性が出せるのではないか?」 「人と違うことが普通の事として認められる世の中になっていくといいな」と考えています。
でも、人と違うことを恐れる人は多いのではないでしょうか?
最近は、インターネットやSNSの発達で、色々な人の活躍や生活や考え方をみることができるようになってきたので、 「自分も人と違うことをしたい」と思う人は増えていると思います。
でも、いざやろうとすると、「やっぱり、みんなと同じ方が安心」と思ってしまったり・・・。 日本人にはとくに、こういう気質があるようです。
私も、自分で選べない時は、皆が選んでいるほうを選択してしまうことは、あります。 ですが、やりたいと思ったことは、一人だけ違っていても、気にせずできる面もあります。
で、いつから、こんな考え方や行動をするようになったのかを振り返ってみたところ・・・ 小学生の時の持ち物に関する思い出がよみがえってきました。
ということで、今日は、私が、人と違っていても大丈夫だと考えられるようになった原体験のエピソードについてご紹介してみたいと思います。
皆と同じにしてもらえなかった子供時代
小学生の時に、みんなお揃いの持ち物を持たされていた経験はありませんか? 絵具セットとか、習字道具とか、裁縫セットです。
私は、どれも、みんなと一緒じゃなかったんです。
絵具セットは、母のお兄さんが子供時代に使っていた古い木箱。母の旧姓+男の名前が書いてあって、嫌だったのを覚えています。
習字道具は、習い事で使っていたものがあったので、みんなが墨汁を使っている中、すずりに水を入れて墨をすって書いていました。
裁縫セットは、「箱ならなんでもいいんじゃない?」と母に言われ、家にあった小物入れを持たされました。
「みんなと一緒じゃないのかぁ・・・」と、少しがっかりした記憶がありますが、 天然で我が道を行くタイプの母の合理性に押し切られたというか、 有無を言わせない空気があり、 だだをこねて欲しがるほどのモノでもないので・・・ こんな風にして、「私は人と違って当たり前」ということが、ちょくちょくありました。
まったく同じである必要性はあるのか?
今となって思えば、大した違いではないですが、子供にとっては、「自分だけ違う」ということは、大きな問題。
もう忘れてしまいましたが、恥ずかしいとか、友達から何か言われて嫌だったとかは、あったように思います。
でも、絵具も習字も裁縫も道具としては不自由することなく使え、裁縫箱に至っては、大人になってからも長いこと、使い続けていました。
結局、クラスメートたちと、メーカーや種類まで同じモノを使う必要は全くなかったんですよね。
皆と同じでも結果が自分だけ違う場合もある
人と違うということは、自分だけ違う結果になる可能性があります。 自分だけ損をするとか、自分だけ危険な目に合うと嫌なので、みんなと同じ方が安心しがちです。
でも、人と同じでも、損をしたリ危険な目にあう可能性はあります。 また、結果はみんなと同じでも、自分にとっては最悪という、感じ方の問題もありますね。
さらに、先ほどの絵具セットや習字道具や裁縫セットのように、どちらを選んでも大差はない場合もあります。
なんとなく安心
つまり、みんなと一緒だからということは、「なんとなく安心」という漠然とした実体のない感情をもたらしてくれるだけでなんの意味もないことなんです。
大人になれば、これは、理屈として分かっている人がほとんどですよね。 でも、ネットショッピングでレビュー評価の高いモノを選んだり、行列のできているお店に並んだり・・・ 人は、皆と同じ行動をとりたがります。
考える手間が省けるので、それでいい面もありますが、 そういうやり方に慣れてしまうと、自分で考えて選ぶことや、人と違う選択をすることが、できなくなってしまうのではないでしょうか。
人と違う選択をできるようにするには?
人と違うけど、自分はこれをやってみたい。これを選びたい!と思ったとき、 勇気がなかったり、怖くてできない場合は、小さなことから、人と違う選択をしていって慣れるのがおすすめです。
私が、子供のころから、人と違う状況に慣れているように、数を重ねると別に平気になります。
付き合いで行っていた飲み会を断ってみるとか小さなことからでよいでしょう。
自分でちゃんと考えて選ぶようにすると、自分の本当に好きなモノや本当にやりたいことがみえてくるように思います。